2008/05
ニュートンの「リンゴの木」君川 治




写真上はニュートンのりんごの木、
下はヒポクラテスの木
 4月の末、友人の案内で小石川植物園を訪れた。ここは東京大学付属植物園となっているが、その昔は幕府の御薬園で薬草を栽培していた所で、蘭学者青木昆陽先生がサツマイモの試作をした記念碑が有ることは知っていた。この植物園にニュートンのリンゴの木が移植されていると友人が教えてくれたので早速行って見ることになった。 
 植物園の日本庭園は池の周りに緑の木々が映える美しい庭園で、丁度色とりどりのツツジが満開。植物園なので丁寧にツツジの種類を説明してくれるのも嬉しい。この庭園は5代将軍綱吉の白山御殿の名残だそうである。
 植物園は多くの家族連れで賑わっていたが、皆のお目当ての一つが「ハンカチの木」だそうで、白いハンカチが枝からたれている。葉なのか花なのか良く解らないが、騒ぐほど奇麗とは思われない。
 この植物園は東京大学に寄贈されて植物学研究の場所となり、1896年、植物学教室の平瀬作五郎がイチョウの種子に精子が有ることを発見した。生物学史上の世界的な偉業だそうで、その大イチョウの堂々とした大木の下に精子の発見から60年たった昭和31年に記念碑が建てられている。精子の発見はソテツでもなされており、植物園の入口近くにソテツの木が植えられている。
 薬園保存園があり、植えられている薬草と、どのような病気に効果があると説明されているのも嬉しい。
 竹橋の国立公文書館で平成20年特別展「病と医療」…江戸から明治へ…が開催された。古文書の展示と現代文解説があり、「病の記録」「養生のこころみ」「医者と薬」「本草図譜」と分かれて資料展示している。病の記録では、8世紀の続日本記に豌豆瘡(天然痘)で未曾有の死者が出たこと、15世紀の立川寺年代記に赤斑疫病(ハシカ)が大流行したこと、甲斐国妙法寺記(1513年)に梅毒の広がりが記録され、慶長年間の見聞集には労咳(結核)と思われる病気が流行した記録がある。インフルエンザの記録も日本疫病史に享保年間江戸で8万人の死者が出たと記録がある。病気にならないため、健康で長生きの為の「養生訓」や山脇東洋の解剖書「蔵志」、杉田玄白らの「解体新書」、漢方医学の原典張仲景の「傷寒論」なども展示してある。当時も今も病の処方は薬であり、「薬草図集」「魚類図譜」「鳥類図譜」が展示してある。将軍に献上された「庶物類纂図翼」は薬草図集で小石川薬園奉行次席の植村左源次が審査したと解説されている。江戸時代も健康ブームがあり、健康体操、サプリメント、温泉案内などの本がある。
 植物園の中ほどに青木昆陽の「甘藷試作跡」の石碑があった。紅簾岩のような石に彫ってあり字が良く見えないが横に説明板がある。青木昆陽は天候に左右されずに収穫されるサツマイモを栽培して旱魃に備えるように幕府に提案して採用され、甘藷栽培を試みたが、元は日本橋魚屋の息子である漢学者であり苦労を重ねた。試作地としてはこの小石川植物園お他に幕張(京成幕張駅北)にも甘藷試作地(千葉県史蹟)があり、九十九里にも有るそうだ。
 お目当ての「ニュートンのリンゴの木」は植物園本館の奥にあった。1964年、英国物理学研究所長サザーランドから「ニュートン生家のリンゴの木」の枝が日本学士院長柴田雄次に贈られて接木されたものだ。ツツジや藤の花の咲き誇る4月なので「リンゴの実」を見ることが出来なかったので、もう一度、秋に行ってリンゴの実が赤くなるのを見たいものだ。実のないリンゴの木を見て喜んでいてはニュートンに申し訳ない。このリンゴの木が国内各地の研究所や学校に分譲されて孫木が育っているようだ。
 リンゴの木の隣に「メンデルのブドウ」の蔓が植えられている。メンデルの遺伝の法則はエンドウマメだと憶えているが、説明によると、2代植物園長三好学がメンデルの在職したチェコの修道院(現在はメンデル記念館)を訪れ、旧実験園の由緒あるブドウを分譲してもらったのが1913年で、約100年経った今も元気に育っている。メンデル記念館のブドウが枯れたので小石川植物園から里帰りさせて復活させたそうだ。
 似たような話に「ヒポクラテスの木」がある。ギリシャの自然哲学者で近代医学の父といわれるヒポクラテスはエーゲ海のコス島で医業を営みプラタナスの木陰で若者に医学を教えた。このコス島からプラタナスの実もらい発芽させて育てた「ヒポクラテスの木」が慶応大学医学部の北里図書館前に育っている。1955年に慶応大学の篠田先生が母校慶応大学と山形大学に植樹したのが始まりで、新潟大学、九州大学、岡山大学など各地の医学部が真似をしているそうだ。1976年に東京大学の緒方富雄医学部長がギリシャからヒポクラテスの木の苗を取寄せて植樹して医学部図書館前に育っており、1977年には日本赤十字社が100周年記念事業としてギリシャ赤十字より苗と種を送ってもらい、日赤本社や各地の日赤医療センターに植樹している。皆がやりだすと残念ながら有難味も薄れてしまう。


これまで人物をたどった「科学技術の旅」は、
今月から科学技術周辺の散歩道にも話題を広げます。
引き続きご愛読ください。


君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)




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